525.旅支度

ダンテ&バージル(少年時代)


 母は、逃げる様に住処を替え続けた。
 片手に弟の手を引き、残りの肩に荷物を載せて黙々と母の後を追う日々。
 母の背中は細く、弟の手は熱く、いつしかバージルは自分がこの二人を守るのだと心に誓っていた。

 その背後で、弟が自分と同じだけ年を取っているのだとも気付かずに。

*********

「バージル」

 貧しい村だった。
 仕事はなく、食べ物もなく、交わす言葉も少なくなった。
 ただ純朴な村の人々が幼い子供二人を抱える母の姿に同情を寄せて、自らの乏しい蓄えからぽつぽつと分け与えてくれるのが、多感なバージルの胸を打った。

「バージルってば」

 母はろくに食べていないと知っていた。
 母の気持ちを重くしたくない一心で、バージルは差し出されたものをただ喜んで弟と分けた。
 バージルがその深すぎる瞳で見詰めると悲しがるから、余り母と目も合わせなかった。

「バズ!」

 ダンテは俯いたままの兄の頭を掴むと、その首をゴキリと回してこちらを向けさせた。

「ッ……?!」

「寝てんじゃねえよ」

 ま、寝る位しかやる事ねーけど、とうそぶきながら、ダンテは引きつった顔のまま痙攣している双子の兄を引き摺る様に立ち上がらせた。
 バージルは震える手でダンテの腕を振り解くと、ゆっくり慎重に首を回して頸椎の具合を確かめた。

「お袋が呼んでるぜ」

「……そうかい」

 バージルは怒りを押し殺しながら頷いた。
 今すぐこのアホな弟をマントル殻まで埋め込んでやりたいが、恩義のある村の中心にマグマ溜まりを作る訳にはいかない。

「この村を出るって」

「−−本当か!」

「嘘吐いてどうすんだよ」

 相変わらず弟は悪童気取りだ。
 バージルは貧困にくすんだ銀髪をなびかせて空を仰いだ。
 大地に無惨な乾きをもたらしているのに、こんなにも奇麗な青空。

 旅の為の蓄えなんかある訳ない。
 隣村に辿り着けたところで、そこも飢えているに違いない。
 今こそ自分が家族を守らなくてはならないのに、この状況から抜け出す方法が見付からない。

 まるで底のない穴の様な天空の下で、自分はこんなにも小さい。

「−−バージル、ダンテ。
 何故村長さんの所へ挨拶に来なかったの。とてもお世話になったでしょう」

「俺じゃないよ、バージルが眠ってたからさ」

「仕方ない子達ね。
 村の入口でもう一度挨拶するから、きちんとお礼を言うのよ」

 バージルはまた痩せてしまった母に駆け寄り、その腕から奪う様に荷物を取った。

「持つよ」

「重たいわよ」

「だからだよ」

 鞄を肩にかけながら、どれも中身はくたびれた衣類に違いないと思っていると、最後に手に取った袋がバージルの表情を変えた。

「母さん、これ……?」

「ああ、わかっちゃった? ダンテには内緒よ」

「うん……でも、こんな……」

 緩めた袋の口から豆や小さな根菜が見えていた。
 母は幼い少年に寄り添うと、そっと微笑んだ。

「お母さんに任せておきなさいって、いつも言っているでしょう」

「……」

 バージルはふと瞳を翳らせた。

 感謝なのか、怒りなのか、誇りなのか、泣きたいのか。

 その感情に名を付ける事はできないけれど、ただそれを吐露してしまう事だけを恐れて下を向くバージルの髪に、母親は優しく指を滑らせた。

「御免なさい、バージル。あなた達には辛い思いばかりさせて、こんな小さい頃から気を遣わせる事を教えてしまったのね」

「……」

「さ、行くわよ」

 ぽんぽん、とバージルの肩を叩いて、母は歩き出した。軽やかに、妖精の様に。

「世界の端から端まで乾いている筈ないわ、バージル。
 きっと地球の反対側では洪水が起こっているのよ。
 そこまで三人で歩きましょう」

 まるで踊る様な足取りで、母の姿が泥壁の家々に隠れて消えるまで、バージルは言葉もなく立ち尽くしていた。
 やがて、バージルは袋の口を固く結び、鞄の一つに押し込んだ。

「−−ダンテ、行くぞ」

 背後に声をかけて足を踏み出す。
 −−突然、ダンテが飛びついてきた。

 ズボンの腰に。




「御免……バズ……その、つまづいて」

「この……ッ!」

 二人して地面に転がったまま、バージルはさすがにしおらしく謝るダンテに真っ赤になって怒鳴りつけた。

「さっさと離れろ!」

「謝ってるだろォ……そんな怒るなよ」

 ダンテは砂を払いながら身を起こしたが、すぐさま兄に食いついた。

「なァ、バージル」

「いいから離れろと言っているだろう!」

「聞いてくれよ」

「……ズボンを上げさせてくれと言っているんだ……」

 ダンテはようやく理解した。
 村の少年少女が遠巻きに眺める中、耳まで赤くしながらベルトを締め直す兄の荷物を、ダンテは剥ぎ取る様に奪った。

「俺も持つよ」

「いらん! お前はすぐ物をなくすからな」

「−−持つってば!」

 不意に荒々しく、ダンテは兄の言葉を遮った。
 普段の子供っぽい癇癪とは違う熱が、背ける様に顔を伏せたダンテにバージルの視線を引き寄せていた。

「ダンテ?」

「俺だって……」

 家族を守りたいよ。

「みんな、母さんも、バズも、互いに全部背負ってさ……」

 母に遠慮して物分かりよく振る舞う兄の後ろで、その兄の為に明るく振る舞うだけだなんて。

「俺の持ち分はないの? 俺はこの鞄と同じ、荷物の一つなの?」

「ダンテ……」

 ダンテは吹き付ける乾いた風に、兄と同じ仕草で空を見上げた。
 伸びすぎの銀髪が吹き散らされて現れた顔は、まるでバージルと同じ。

「−−つー訳だから、俺これとこれ持つね。軽そうだし」

「……ダンテ」

 忽ち軽口を叩き出す弟に、バージルは眉根を寄せて嘆息した。
 これがダンテのやり方だ、という事だ。

「−−ちょっと待て、その鞄は駄目だ」

 例の食料が入った鞄を危なげに肩にかけるダンテをバージルは慌てて止めた。

「何で?」

「その、駄目だったら駄目だ」

「……」

 弟に大いに不審な目で見詰められて、バージルは言葉を詰まらせた。
 ダンテにあってバージルにない才能といえば、その場凌ぎの口先だろう。

「じゃ、取り返してみればー?」

 言うなりダンテは駆け出した。村の出口で、母親が待っているだろう。

「こ……こら!」

 バージルは残りの荷物を引っ掴むと、必死で弟の後を追い始めた。

*********

 母親は、遅れてきたバージルに手を差し伸べた。もう片方の手はダンテがぶら下がって笑っている。

「行きましょう」

 バージルは息を弾ませながら、半ば不思議な気持ちで母親の手を取った。
 今まで荷物(とダンテ)に両手を塞がれて、母に触れる事はできなかったのだ。

「ね、二人でわたしを連れて行って」

「まかせろ!」

「ダ、ダンテ! 引っ張るんじゃない!」

 村の人々に三人で頭を下げ、また荒野に出る。
 この旅の意味は何なのか、バージルにはまだ分からない。
 でも、ダンテと二人で母の手を引きながら歩いている今は、何故か、この旅が永遠に続けばいいと思っている。


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モドル